2010年10月3日日曜日

鬱が嫌われる事情

鬱の人が社会的窮地に至る現実は
余りにも自分自身以外の社会環境への配慮が欠如する事で
周囲隣人に迷惑を懸けている現実に本人が理解乏しい現実が有る。
薬を服用して感覚が鈍麻に成れば
当然時間過ぎれば見る影も無い。

相当そこ迄至る道は簡単だ。

日を追って世間一般社会への関心や興味が薄れる様な薬を飲む事で
自分自身の関心も無残に奪われる。

実際、失業や離婚とか調べればこの「鬱」は実に多いし
無職人口の何割かは大抵「鬱」なのだから。

実体験上、本当に自分自身がどうしようも無い程物臭で醜悪に成って失ったもの
を調べ起こせば切りが無い程自堕落さと怠慢で全てを失った。

精々言えば今、結婚して子供何かいたら

旦那に見捨てられ、子供に当たって虐待するかも知れない。
先日Twitterに会社への鬱病対策マニュアル成るモノが公開され物議を醸していたが
現実的に読めば当然の解釈に怒りは来ない。
企業又会社は私だけの場所では無いのだ。

働いている同僚や上司に迷惑を懸けているのは

本当に鬱で労働意欲も奪うほど投槍な自分自身なのだから、会社は当然やる気が有る人間で
切り盛りしなくては経営や利益に成らないのだ。そう考えれば当然退くのが道理。解雇される迄
居た事で逆に私なんかは罪悪感を覚えたし、鬱斬り解雇は妥当だと思える。

不当解雇?

会社にとってマイナスなら不当何て言葉は出ない。
実際自分の経験からすれば自主退職した方が未だマシだったと思える位なのだ。

自分の落ち度や不手際を頑固に認めない人間は嫌われる。
欝で無くてもそれは一緒。
会社では無く家ならどうだろう?

好いた頃の自分と今の自分を考える位の患者なら可愛い。
厚かましくも醜悪で鈍麻で鈍感で我侭な人間と変わり果てても縋るのは
酷い詐欺師の様なモノ。

愛想尽かされるし迷惑だろうに・・・・・。

客観的に「今」をどうするか判断出来る内は良い。
多分是が一番シンプルで解り易い。

誰にも好かれない位に嫌われたら終わり。

同じ鬱病患者同士でも是は解り易いが、病気に感けて自己中心的な人は
嫌われる。患者同士でも解るのだから自分を取り巻く周囲隣人の目の変化
位に気付けないと本当に誰も自分を助けてはくれないよ。

一人に成って避けていた箱の蓋を開けて覗ければ、嫌われる事情は生々しく刻銘だ。

どうか生きる事も嫌われない様に・・・・・。

今は自分にそう言う事で精一杯だ。
愛してる人にすら嫌われない様に。


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