2010年9月19日日曜日

私の個人的好奇心の鍵言葉

精神医学の窓口的な象徴的な日本の犯罪史。

幼女誘拐殺人事件 故・宮崎勤死刑囚の存在は20世紀を越えて21世紀の現代日本の犯罪史上でも特異な意味で象徴する鍵言葉と成っている。

私自身、心理学やら法律やらを興味抱いた鍵言葉とも言える。


誘拐し、淫らな小児性愛の挙句、死体を損壊して……。

そんな事件を世に知らしめた彼の出現で精神医学が取り沙汰されたのは言うまでもない。
好きなモノだけに四方の壁が埋め尽くされた部屋、その中には小児性愛と同時に破壊的な衝動が垣間見え、異端に見えたのだから異常だと多くの人は思うだろう。

因ってこの事件で

精神鑑定成るものが以降多発する猟奇的犯罪の度に出てくる。
同調するように「FBI心理分析捜査官」とかがベストセラーと成り、日本でも犯罪心理学だの何だの胡散臭い専門家が現れたと言えよう。

昔から連続殺人や通り魔の様な事件はあった。日本人で言えばつい100年程前は斬り捨て御免の時代だったのだから、案外ギャーギャー騒ぐ事でも無い。

実際私の現在の居住する自殺名所幽霊マンションの目の前に有JR常磐線荒川沖駅で連続殺傷事件が遭ったが、別に今更起こった事件と法廷の判決が何故か被害者より加害者の思惑優先の結果の矛盾さに不甲斐無い司法の腐れを精神医学と同様に感じる程だ。

常に垣間見えるのは精神的異常者の犯罪を精神医学が介入しては引き伸ばす馬鹿馬鹿しい法廷劇だ。「自殺が怖くて人を殺せば死刑に成って殺して貰える」と言う糞文句で反省の色も無い馬鹿に死刑執行しても司法権威は丸潰れの台無し。

私が裁判長なら「求刑は死刑但し限られた時間内に自ら自殺する事」と判決するけどね。

死刑執行反対の法務大臣の刑場公開の報道も、実際こんな綺麗な場所でボタン一つで執行して線香一本、献花迄死刑囚にするお馬鹿な国日本。私が常々思うのは「宮崎勤」なのだ。無駄に長生きし税金のただ飯食らって漸く執行されてサヨウナラしたのはつい最近だ。

記録映画で東京裁判やBC戦犯処刑の現場に線香も弔いの菊一輪何か手向けたか?メンヘラが増殖したのは彼の名前が出てからでは無いだろうか?。今では「病名」に甘え「薬」に溺れる人間ばかりで溢れている。ちょっと目立つ犯罪が起きれば偽名の精神科医がTVで引っ張りだこと言う有様だ。おいおい。偽名ですぞ。それでもギャラ払うマスゴミがいて、ダダ洩れに熱中する低脳で信じ込み易く文化に流され易い日本人が真に受ける悪循環が生じている現実。



近年犯罪史で一躍困ったチャンブームを生んだ彼は死んだが。
周期的、季節的に現れる衝動的で無差別な迷惑な人間の犯罪が相次ぐのはもう毎年の事。
霊だのお化けだの言うより怖いのは



実は 人 であり、
その中身の 心 だと成る。

犯行事態に怖いだの言うのはその場凌ぎだけで、案外、時間が経過して類似犯罪が又起こるので感覚は麻痺して鈍化していると言えるだろう。


未だに司法も精神医学もこの鍵言葉から分離出来ないのは、解明されない謎の精神の根源への追求だろうし、脳科学者の雄弁な戯言や自己啓発ブームの発端はコイツなのだなと私は睨んでいるのでIQ84なんか読んでもちっとも面白く無い。発刊して数日後にはBOOKOFFで安値で買える娯楽小説に何を見出せる?と逆に問うのが私の見解だ。

こんな世のだからこそ、単に読み物として消費される娯楽小説に成るより、宝物の様に大事に生涯持ち主の書棚に眠ってはひっそり読み返される怪奇小説なら書いてみたいものだ。

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