2010年9月29日水曜日

断薬十日が過ぎました

多分この10日間は人生の中では唯一自分が一人の
鬱病患者として「生と死」を考えた時間だ。

衝動的に遮断した薬

処方箋の薬はパキシル、テトラミド、レキソタン、レンドルミン。

天候は猛暑の夏から劇的な台風一過し秋に変わった。
今思えば相当な気圧と気象の変化だ。

一気に切った薬。

衝動的な自殺企図か起死念慮みたいな自殺行為同然の行動ったのかも知れない。

突然働けなく成り、自暴自棄だったのは認める。
但し泣き寝入りする負け犬には堕ちたくなかったので何もしないで
薬物依存し、眠れない時は多く何て当たり前に飲んでいる薬が果たして精神に効いていたのかどうかを考えた時、自分のこの人生の失敗に向精神薬が齎したモノを振り返れば当然今後の自分自身が二度と社会復帰出来ないのでは?と思う危機感を無視出来なかった。

この薬を飲んでいる限り自分は治す気有る?

気付けば自分で自分の人生を台無しにしてしまった現実から再起出来る自信が無くなった瞬間はこの問いかけだ。自分には背負っているモノが沢山有る。元々然程裕福でも無い人間なので、人より常に何かに飢えている人間だ。序に言えば自分が安穏と暮らす程現実は甘さを認めないだろう。

「鬱病」と成り、何が得何だよ・・・・・。

一生「鬱」で良いの?

意を決断する迄そう時間は懸からなかった。

変えたい。変わりたい・・・・・治したい。

一応馬鹿なりに理性が働き、自分が向精神薬作用に予てから疑問を投げていた答はwebに有った。こうした向精神薬の異常性を訴える医師達の存在を知る。

危険を顧みず決断に至った答が見付かり安心した事、同時に今なら出来ると言う時間を不本意にも失業から得た事で頭の中で薄れていた「未来」が「可能性」に変わった転換期だろう。

そして10日が過ぎる。

断薬11日目の朝、断薬以前より多分冴えた気持ちでBlogを書く。

離脱症状は無い訳では無いが
この10日間の断薬で教えられたのは「生死の境界線で生を選んだ為に敢えて挑んだ行動は正解だと言う手応えで有り、或る一定の時間を得たなら例えメールで錯乱しようが、呟きで暴言真理を語ろうが遣り方それぞれだが、断薬は究極の自殺行動と良く似た衝動と勢いが来る前提で本人次第で出来る患者しか多分耐えられないだろう。

秋雨が明けた11日目の朝。

私は少しだけ自分自身のタフさを自画自賛で褒めている。

「混乱」の嵐の様な断薬に因る離脱症状も不思議と緩和したのは自分の再起執着への
「祝福」なのかも知れない。

僅かな日々だろうが、多分心身此処まで自殺同然の行為の苦悶は
今後二度と味わう事は無いだろう。

別の意味で夜明けを感じた朝は新鮮だった。

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