どれだけ脳神経が向精神薬所用で鈍麻され麻痺されたのだと言う現実だ。
肉体には作用するが、実際に「心」には作用が無い事実は
この数日間、不安と焦燥で頻繁にメールした内容から自分自身の混乱が見て取れる。
思いの捌け口はBlogでも何でも一挙に認める行為は強ち間違いでは無い。
其れは全て記録と成るし、こうして未だにBlogが書けている現実は
自分自身の生存表明に成る。
パキシル、レキソタン、テトラミド、レンドルミンと幾つも同時に服用していた中で
一気に遮断して見出せたのは
「鬱」と言う「病」に何処かで自分を憐れむ「自己憐憫」の度合いの高さだ。
私はどれだけこの「鬱」と言う病に甘えて自分の道を壊したのか気付けただけ幸いだ。
職も金も信用も失ってどん底に陥り
現実と直視出来る状況に置かれた事を「恨む」様な気分よりも「感謝」だし。
今後の自分が如何なると惰性に焦燥と不安に混乱は波の様に襲ってきたが
或る環境激変が無ければ私は一生涯「鬱病」に甘えて生きただろう。
それを踏み止まらせ、再起に時間を得た事は善かれとも言えるし、この転換期を
薬に溺れて「溺死」する前に迎える経緯に感謝しかない。
当然、事は冷静に自分自身を導く様に成る。
断薬を僅か初めて一週間程度で有りながら
本来の自分に戻って行く度に神経を敏感にして行く感覚が正解だと気付く。
何処まで今の自分が変われるのだろうか?
断薬に因って、多汗や高熱が音を立てて襲ってくる。
一言一動意識し刺激する度に神経伝達が音を放つ事が辛い何て思う事は無い。
外界の空気が針を刺す様な刺激を与えるが、同時に湧き上がる数々で不思議な衝動感は
シャンシャンピリピリ
嗚呼、如何に今まで目の前の世界すら鈍感に見えていた事か、鏡に映る自分を直視する
度にそれは本当に麻痺して鈍感に陥っていたのだと言う現実を知った。
確かめて観れば、観るほどこの断薬開始は正しい結果と言う事を知るから多少の憂鬱や
苦悩は可愛く感じるし、湧き上がる感情や汗や熱が間違えていた過去を存分に教える。
二度と私が「向精神薬」に縋る事が無い様にと戒める業みたいに思えば
どうって事は無いのだ。
自分自身が正しい選択を選べたのは皮肉にも
社会的な環境を激変させる結果で遭ったが、同時に反省材料としては十分であり、実際は
こんな風に成る事を何処かで望んでいた本能的な展開だったで悔い改める事が良い人生教訓
に残るだろう。今度はこんな馬鹿な域で自己憐憫しないで「病」と対峙出来る。
生まれ変わろう……。
未だ再起の道は幾らでも有るだろうし、この記録が誰かの役に立てる事に成れば良いと素直に思えるのなら、私自身この断薬一週間の混乱を本にして伝えよう。
益々そう思える自分自身の変化に「嘘」は無いから強行突破出来るのかも知れない。
冷静に成る程頭が冴え渡ってくる感動を得られたのに「偽り」は無い。
「変わりたいなら今直ぐそんな薬は棄てなさい」
そう言い伝えても良い位に、この「薬」は人生にマイナスを齎す「リスク」です。
「くすり」を逆様に読んだら「りすく」
負担と成る薬を服用し続けても逆に効かない場所で健康を害する危険を起こしているのだから
当然健康障害何て有るだろうし起こるだろう。
私は溺れる前に何とかこの機会を得られたのは「幸運」か「運命」だと思った。
是が断薬一週間目の実体験だ。
それは丁度季節が夏から秋へ激しく変わる天候の変化の様に劇的な経験だった。
それは丁度季節が夏から秋へ激しく変わる天候の変化の様に劇的な経験だった。

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