2010年9月23日木曜日

開かずの扉

精神病院に入院した夏のたった一日。
社会と隔絶、隔離されるその開かずの扉の「鍵」の意味を生々しく悟った。
精神科入院病棟が何故こんなに鍵だらけなのか、そして何故此処まで外界を遮断するのか
の意味を探る。一見、この閉ざされた開かずの扉に疑問を抱けば
先ず、二度と御免だと言う心境に成るし、自分の居場所を深く現実と向き合う事が出来れば
此処は「収監所」であり「病院」では無いと理解する。


翌々考えれば「臭いものに蓋をしろ」の状態で有り、通院患者から是だけ引き離され隠される事の不自然さを当然可笑しいと思う訳だ。

過去に精神病院が患者に暴行虐待死する事件が取り沙汰されてはいても、現実未だに各精神科病院の病棟から「開かずの扉」が有る実態を奇妙と思うのが正直な反応で有り、私が入院した病院も妹が入退院を続ける病院には「鍵」が幾重にも有り、社会と遮断する。

何故此処まで非公開なのか?

何故見せられない建物構造に未だ誰もが疑問を問い掛けないのが不思議だ。

内科や外科病棟の様な清潔さは有れど、「開かずの扉」で
社会と患者を完全に遮断する意味が有るのだろうか?

患者が逃げるからか?、逃げるなら、普通何故逃げるのかを考える筈だ。

法律的に「人権侵害」か「尊厳の自由剥奪」「社会的生活権利への暴力」とかと、精神医学界に言う人間がいない様な社会の構造が奇妙だ。

人権保護を唱える団体が騒がないでいるのは何故だ。

親切で身近な隣人的家庭医みたいな雰囲気の精神医療をと言う時代で有りながら
この不自然な「開かずの扉」が無く成らない。

今の現状では
結局無くならないだろう。

其れだけ、不自然さに鈍麻している状況を変えようとする医師団体が居ない事。
司法介入が極めて緻密な策略で難しい世界で有るか。

僅か一日の入院でも其の違和感さを患者の一人として私は
近年の精神医学界への証言者に成る事にした。

表面上は大人しい患者Aに過ぎない私だが、こうやってBlog等で意義を唱えるだけでも
意味が有るだろうし、この「開かずの扉」が無くなる為の経緯に貢献出来れば幸いだ。



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