いじめで労災認定、そんなのが罷り通ったら、日本のアノ御皇族の内親王様のPTSDも賠償請求出来るんじゃない?。いじめ何て何処にでもある。だって、人間だもの。その形は見えなくても心が有る様に解釈や感覚一つで全てそう成りうる。
鬱病と医者に診断されたから、原因は何?と問われていじめです。
果たしてそんな事でいちいち診断書書いて有る場所に提出すれば認められるのだろうか?。
実際、世の中様々に鬱病理解をと漫画家が闘病漫画描いたり、精神科医が鬱は病ですとか意図も可笑しく情報を氾濫させ、「あ、私も……もしかして」何て窓口を無駄に開いて貰っているだけで、本当に欝でどうしようも無い人は「もう逝ってるよ」と私は思う。欝は甘えだと言う人間も当然多い。
そう診断された私自身も実際は甘えなのか逃げ口実なのか解らない。強いて言えば、自分が自分らしく生き様とする都度異常性や異端を痛感する。血液検査で疲労度等が解る時代に成り、実際に私は今、取敢えず処方薬を飲み、辛うじて自分を保っているのが現状だ。
周囲から見れば、少し間抜け(かなり)で元気な好印象を与える不思議な営業が苦手な癖に饒舌に話す新聞オタクかも知れない。でも、それは飽く迄上っ面。実際は危険思想家極まりないだろうし、世論で賑やかなtwitterで必死に持論や世論への呟きを熱弁する方々よりも危険な思想でしょうから鼻で笑っては皮肉に嗤う。
他人からは最も見えない病と言うなら「鬱」だ。
真偽問う疑うのは医者の裁量であり、御節介な周囲の隣人知人が探りを入れる事は不可能だと思う。目安として強いて私がカミングアウトするなら、誰よりも孤独を愛する癖に、絶対の愛を同時に求めていると言う事だよ。生死がどうこうでは無いんだ。是は診断され様々な同じ病に堕ちた人々と話せば良く解る。
私が世の中に鬱の真偽を問うとしたら、面白がってネタにする隣人に囲まれて暮らしている患者は単なる「餌」か「鴨」。序に年金とか二十歳前発症の申請には「働かない偽者」が実は多いんだろうなと#ustuや#ccro#menhelで見掛けるね。処方薬自慢なんかしてる段階でそれ鬱を模る詐病だからね。定義は精神医学界で決まるだろうが、私なんかは姿勢を維持する事、歩く事すら不安定な時だって有る。薬物自殺をしてみたり、飛び降りても生きてるし、潜水死も狙ったが全て失敗。やってはいけません、そんなタヴー何か関係無いよってのが「本物」なんだよと、私的に鬱の真偽を考えてみた。

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