2011年1月18日火曜日

鬱からの社会復帰

地獄だなと言うのが正直な感想。
無理でも働くべきだったのか?等後悔ばかりの半年。

鬱切り解雇の悔しさで

自殺行為同然の断薬強制執行して去年は何もかも夏以降はボロボロだった。
実際に立ち上がる、寝返る、歩く、息を吸うだけで全身が痛く軋む程で
酷い時は排泄だって満足に出来ない程寝たきりだ。

日記には必死にモチベーションをと意気込むタイピングする手も
震えるし、椅子に座る、胡坐に成る事すら拷問だった。

指先は震えて日々絶望の寝起き数時間の激痛に
「死」何か毎日考える程だった。

本当の自殺行為そのものが離脱症状だったし

ピークを越えて残った痛みはパキシルから来た迷惑な後遺症だった。

年が明けて病院に駆け込んで鎮痛剤を貰うまで本当に藁にも縋る気分だった。
ベッドで寝たままネットで交流はiPhoneでしていたがこんなに苦しい時は多分


もう終わりにしたかった。

最近に成って漸く社会復帰を考えるが、薬害か怠慢か
恐ろしく醜い自分を毎日見る苦痛との戦いの日々。

社会で働く人間が眩しく見えて憎らしく、同時に酷い劣等感を覚えて暮らす。
泣き言言う相手もいない惨めさ。

実際、ネット廃人でも未だネットで愚痴でも呟けるだけはマシなんだと何度も言い聞かせる日々が続く状態だ。ネットで仕事を探し履歴書を送れば返事すら来ない就職活動。


唯でさえ人間不信なのに

社会すら不信感と猜疑心で一杯に成る程だ。

本当に「鬱」は全てを台無しにする。

人生、希望、感情、未来、意欲・・・・・・その他諸々。

そんな中でも生きる以上はこんなどん底に落ちた分、本気で這い上がるしか道は無い。
この絶望的な苦しさに言葉は正直言いあらわせない。

自分自身への焦燥と苛立ちが憎悪と嫌悪でしか無いのだ。
取り得も無い力も無い自分の軌道修正としての社会復帰。


荊の道を裸足で歩いているような緊張と恐怖の中で今日も一日を無駄に終える。

未来なんて丸で考えられない明日が又訪れる。
明日はどんな失意と絶望を与えてくれるのだろうか?

生きていながら地獄にいる気分で憂鬱だが



向精神薬を飲んでも解決が無い事だけは事実だ。

私が笑顔で人に向き合える日が来るのだろうか?


時々、二度と目を覚ましたくない時が有る。





この苦しみを理解してくれる隣人なんか私にはいない。
たった一匹の猫だけと言う事実だけだ。

私は猫の為にだけ生きている様な気分で日々を過して暮らしている。
本当にその程度の意味しか無い人間の社会復帰なのだ。

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