勢いで始めたパキシル等の処方されていた向精神薬全てを断って一ヶ月経過。
怒涛の一週間は夏の終わりと本格的な秋の到来の如く。
感情面が恐ろしく渦をまいてメールやメッセ、twitterやmixiの自分の残した言葉で振り返るとかなり衝撃的だった筈だ。と、同時にどれ程この薬を飲んでいた頃、こうした感情の変化が麻痺して鈍麻していた事かと驚かされる。同時に、薬が思ったより身体の奥に染み込んでいて自分自身が恐ろしくなった事は言うまでもない。なまじ人生の半分は何だかんだで向精神薬に依存していたのだ。当然と言えるほど、心理面だけでは無く、身体にも来ている訳だ。
実際にODと言う行動で過去に自殺失敗の未遂に終わった愚行。
その時の胃洗浄と暫く続いた薬を抜く為の入院の時よりは苦しさは無かったから
今を耐えられる。
徐々に減薬だの何だの頑張っている人間もじわりじわり長い時間この離脱症状を味わいながら鬱から復活を願う方々もいるでしょうが、皆口々にシャンビリがとか頭痛や吐き気とか言うけど、私なんかが思えば、「そんな繊細なタマかよ」と別に不治の病や大きな内臓疾患、又外傷でも無い世界でいちいち病気に甘え為さんなと逆に思う様な人間なので、「離脱が……」何て言いながら自分自身をやたら病に置きたがる「都合の良い鬱」と一緒に見做されるのは嫌だった。
結局、困難の前で人生の中、感情の問題で心身病んだ「鬱」なら
本当に「薬」何か意味が無いのだなとこの一ヶ月間思って過した。
強ちこの答は事実。
この一ヶ月で
パキシルを最大で服用する状態以前に体重は落ちた。
食欲は波が有るが、日頃の不養生からか新陳代謝も悪い分
食欲や栄養摂取面も予想より崩壊していた。
感情の喜怒哀楽が蘇る様に泣き虫な自分が復活した。
孤独は確かに恐怖だが隣には猫がいて、緊急時は携帯。
しかし、過去の教訓か、案外心身の変化変貌のパニックの裏には
もう四年前?五年前?のODに因る自殺失敗で
入院して、物凄い苦しさが遭ったので、思ったよりキツイとか思わない。
と言うか其れに較べれば実は楽だ。
多少の運動機能に筋肉硬化や背筋痛は未だに寝起きや長時間立ち姿勢の際、
果ては椅子に長い時間座る際は苦しい。
四肢への血流が悪い低体温と代謝の悪さで鈍痛が常に有るが
今ある時間の余裕を治療時間と見做せば、多少の苦痛は我慢も出来る。
こんな状態に陥るまで身体の機能を無視していたのだと
寧ろ謙虚に反省するしかない。
心何かより身体がボロボロを自覚。
失業してみれば次の仕事を考えた時
以前と同じ労働は出来ないなと観念した。
体力が落ちて、歩行も正直苦しい有様ですから今は未だ我慢の時でしょうね。
殆どこの断薬自体が自殺企図みたいな勢いで自らを罰する様な戒めと、荒療治に成った結果ですが、徐々にとか考える余裕が無い程、切羽詰ると案外出来てしまえる。自己反省と言えば、当然、離脱症状を自分なりに抑える為に煙草はかなり最初の二週間は吸いました。もう目を開けていればパカパカ煙りたててました。しかし、咳しては背中痛が酷いので、次第に量は減った。
以前は一日2箱以上でしたが、今は一日1箱位です。
不思議と煙草は場所を考えれば我慢が出来るし、吸いたいな~って思ってもシャンビリだの冷や汗は出ません。故に、逆に心身に効く筈の向精神薬を遮断しただけでこんなに指先が振るえ、背筋痛と筋肉硬化。四肢の冷えや代謝低下、感情の波で左右される何て言う離脱症状が起きる事自体が異常なのだと改めて驚かされたのが現状で有り、心の問題には何も解決していない結果を、生々しく知ったのは、自分自身の今後の生き方の選択や、物事の判断を要される時、日常生活で揺れる感情の中での自分の性格や人間性の不完全さは病気以前から何も変化していないどころか、逆に自己嫌悪に陥る程、至らない有様に戸惑っては落胆するばかりだ。
治りたいし、こんなつまらん事で無駄に時間を遣う位ならと思った経緯は
変わりたい
それだけの事なので、今後も自分を観察するように記録するだけ。
自分自身の人生なので、自分が先ず変わりたいと
願わないと……。
道は開けませんよ。
「病は氣から」
これは酷く抽象的にも捉えられ易い言葉に成ってしまいますが、本当に「氣」です。
私は別に宗教やスピリチュアルとかには丸で興味はございませんが、心身が病む経緯は大抵この「氣」が欠乏か滞るからだと何故か思いました。
金銭の貧困と同じ様に感情面の貧困がこの鬱の根源かと思います。
結局、自分が自分らしく生きたい筈の人生の中で何かしらの軋轢や霹靂、不満や抑圧に自分の首が詰まるか、意すらも言えない苦労や苦痛を処理や発散が出来なくて始まった心身喪失が「鬱病」の要因では無いでしょうか?
だとしたら、薬はやはり要らない
そう言う結論に至って自分判断でも断薬してみて正解だと振り返る。
自分自身の問題なので他人には無理には勧めない断薬です。
私は暫くは薬を飲む様な事は無いとだけ言える結果に成りました。
「医師の都合の悪い鬱病患者」
生き方は「都合の悪い鬱」その侭かもしれません。恐らく今後は社会的環境や世の中で「鬱病」への偏見と向き合う様な自分の人生再出発と成るだろうし、多少の困難の中で自分を見失わないで、寧ろ自分の人生を自分自身で切り開く努力が試される為の壁を攀じ登る事が重要に成る事だけは明確に成った。再起や再出発何て言葉が脳裏に浮かぶのは少しだけ鬱蒼とした心に光が差した展開だと喜べる結果かなと曖昧ながら思える変化に感謝を覚えた。
あまり無理しないでね。
返信削除俺は4年で徐徐に減した。