2010年7月22日木曜日

扉の向こうに我関与せずの世の中

超高層高世帯数マンションの中では何処かで子供が泣いているだろう。
PetOKの物件で外国犬の博覧会観たいな公園散歩風景を眺める横で
夕方5時の音楽が流れる田舎
親の不在の夏休みもあれば、親が不規則に家庭にいては
その小さなPet同然のお荷物の様な

言葉を話し、聴き、喜怒哀楽と無邪気な我侭と素直を覚える
子供と言う生き物が疎ましく扱われる事も有る。

昔は逃げ場所は近所に幾つも有ったし、爺婆の家に転がる真似も多々ある。
そんな時代とは違い自己責任範囲の自由奔放を
謳歌する核家族の人間関係には
「闇」
がある。
実際にその闇の種類は様々だ、年金と荷物抱えて逃げるように高齢者住宅に入居する老人もいれば、社会生活不適応患者とした閉鎖病棟に家族から捨てられる人間もいる。
子供くらいだろうか?
憎らしくても選べない事を体得した子供の頃。
ご近所さんに響く泣き声すら無視だ。
「どうしたの?」
そんな言葉も掛けてあげられなくなった社会構造に何が少子化で子供手当だろう。
降りかかる厄介ごとから目を晒す。そんな大人に成った自分自身が酷く嫌いだ。

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