2011年1月24日月曜日

猫の付き添い看病

病んでいる時の最強の薬は猫だった。

伊達に7年間苦楽を共にして、一度はこの猫棄てて死のうと自殺未遂もしたけど
帰宅して暫くは酷く嫌われたのは案外ショックだったし、

動物の感情っていうモノを小馬鹿にしていた
自分に反省した事も有る。



昼間、落ち込みに耐え切れず冷蔵庫の食べ物全部棄てて、悔しさで一杯で
散々ネットで愚痴を言う。最低なtwitterの使い方をしたが

それでも逆に励まされた事にありがたさを素直に覚える。


一言でも欲しかった電話とメールの主からは沈黙だった。
忙しい人だからと諦めるし、もう暫く逢ってない。

「休みが出来たら・・・・・」何ての一点張り。不意に逢いに行けば門前払い。
所詮その程度なのかなと新年早々からその方向への考えは
妥協と観念。

働いていないと単に寂しい構って病と観てるんだろう。


大事に思われてないのか?

とか乙女回路な思考も只今停止。
不要なら不要でケジメでも付けば未だ気楽だったりもするが無駄に時間だけ経過。
正直言えば飽きた。

どうせ、この「休みが・・・・」何て当てには出来ないから。

そんな中でも、連れ添う猫は必死だ。深い眠りに陥っていた飼い主の傍を
離れた痕跡が無い。呻けば覗いてくるし、寒ければベッドに潜る。

私にとっては今は猫が伴侶。人間の心は当てに成らないし
言葉なんか何の救いすら感じ無い似非薬。

どんな言葉より、純粋で綺麗な瞳で自分だけに依存するこの猫が可愛い。

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